- 社内活動・カルチャー
- 川島 崇志
広告代理店の営業マンから広告運用者になって思うこと
自身のキャリアのスタートが、営業職で本当に良かったと思っている。営業とは、顧客の課題と自社の提供する付加価値とを結びつけるという、とても重要な役割を担い、どのビジネス・組織においても無くてはならない存在であることは言うまでもない。それは今も昔も、いつの時代だって変わらない。
しかし、一方で、運用型広告の支援の現場では、営業担当と広告運用担当が役割として分担されているケースが多いことに、違和感を持っている。
私は、新卒で入社した総合系のデジタルマーケティング会社で営業マンとして従事し、のちに転職。現在は、運用型広告に特化した広告代理店で、広告運用を行いながら、同時にフロント業務(クライアントとのコミュニケーション全般)も行い、「運用」と「営業」のそれぞれの役割を担う運用型広告のスペシャリストとして、日々業務に向き合っている。
今回は「広告代理店の営業マンから広告運用者になって思うこと」を、当時の状況を振り返りながらお伝えしていきたい。
これからは、運用ができてこその営業
当時、営業担当であった私は、運用型広告の運用代行やSEO対策、サイト制作、コンテンツマーケティングなど多岐にわたるサービスを武器に、クライアントへの価値提供に奔走していた。役割上、広告の運用業務はほとんど行わず、フロント業務(クライアントとのコミュニケーション全般)がメインの任務だ。
そんな中、ひとつの危機感を得ていた。それは、運用経験の必要性を無視することができなくなってきた…という感覚だ。
当時も営業担当として、デジタルマーケティング業界の最新動向をキャッチアップしたり、クライアントの業界の情報収集も積極的に行い、提案や議論の質を高める最大限の工夫をしたりしてきた。営業担当として、クライアントから感謝の言葉を頂いたことも、それなりにあった。
しかし、どうしても腹落ちしないことがあった。それは運用型広告に対する、自身の向き合い方だ。運用型広告の多くは開かれたプラットフォームであり、それを取り扱うことのできる企業も多く、広告主が直接取り扱うことだってできる。また、Google AdWordsを筆頭に、機能ひとつひとつが日進月歩で進化しており、ほとんど運用経験の無い自分が語れることに、限界を感じるようになった。この危機感は、フロント業務をこなしていけるのか?という実務的なことよりも、発言ひとつひとつの「自信」に紐づく、心理的な影響が大きかった。
営業という役割上、日中は外出していることが多く、アカウントひとつひとつに向き合える時間には限りがある。それでも、運用型広告で成果を上げたいという思いから、時間を見つけては、営業担当として運用担当へ改善点を指摘すべく、重箱の隅をつつくつもりで管理画面を開く。
そして運用担当に向けて、こんなコミュニケーションを投げかける。
- 「このキーワードのCPC、もっと下げられませんか?」
- 「このキャンペーンのインプレッションシェア、もっと高めていきましょう」
- 「このキーワードCTRは高いけれど、同時に直帰率も高いので出稿は見直しましょう」
しかしこういった指摘は、運用担当にとっては考察済みであり、何かしらの対処をした上での結果であることが多い。もしくは、同時にデメリットが伴うため、あえて対応をしていないというケースも少なくない。運用型広告における様々な指標は、多くの要素が複雑に絡まり合って成立しているため、短絡的な考えの下で設定変更をすることは、予期せぬ結果を招くことがある。
当然、営業担当であっても毎日アカウントは確認しているため、大局的な状況は把握をしている。しかし、一つひとつの細かな設定変更まではさすがに見れない。いや、見れない、のではなく、見なくてもよい、という方が事実に即している。営業担当は細かな点は見なくてもよい、というのが役割分担の強力なメリットだからだ。
しかし、運用型広告の奥深さを知れば知るほどに、自身の無知さを知るばかりで、これに向き合わずしてこの業界で戦うことに違和感、というより、むしろ危機感に近い感情を覚えるようになった。
そんな時、偶然手に取った本が、私のこのモヤモヤを代弁してくれた。
広告の運用、あるいは、PDCAの経験がない人は、「これからの広告人としては失格だ」
運用型広告 プロの思考回路
この一文が強烈に胸に突き刺さり、その感情に拍車をかけた。
本書を読み進めていく中で「営業だけでは駄目だ」と確信を得たと同時に、運用型広告の支援領域では、フロントと運用担当分担型の支援形態は、ますます本質から遠のいていく予感がした。
「社内で確認します」が運用型広告の価値を下げる
転職後に運用経験を積んだ今、当時の自分を振り返ると、上述の改善策の提示などは実におこがましいと感じる。当時は、ただただ「何とかパフォーマンスを上げたい」という一心で取り組んでいたものの、運用者に対してあまりに稚拙なコミュニケーションを投げかけていたと反省してしまう。
現在は、クライアント先に出向いてフロント業務を行いながらも、あくまでもメインの業務は広告運用であり、運用に集中できる環境がある。以前と比較すると、自身の支援社数は劇的に減ったが、効率は上がり、支援の品質も格段に上がったと自負している。
ここで、この「支援品質の向上」について強調したいことがある。品質向上の理由が、「担当社数の減少=一社一社丁寧な支援ができる」という単純な図式、つまり「一社あたりに、より多くの時間をかけられるようになった」という、工数(時間)的な理由だけではない、ということだ。
「営業(フロント業務)」と「運用」一体型の組織で、もっとも価値を感じていることは、「判断と実行のスピードが圧倒的に早くなった」ことだ。そう、もっとも大きな価値は、「より多くの時間をかけて丁寧な判断ができるようになった」ことではなく、「すぐに判断、実行できるようになった」ことにある。
支援の現場で、課題が発生したり、クライアントから新たな質問や疑問・要望を受けた際に、その場で判断して返答し、アクションプランを策定できてしまうかどうかは、信頼関係を築く上で重要であり、とても有効だ。
メインの業務が広告運用になったからといって、クライアントとのコミュニケーションの場でやるべきことは、営業マン時代と変わらない。課題を定義し、解決のためのアクションを検討するということ。ただ違うことは、当時もどかしくてたまらなかった「社内で確認します」の発言が一切なくなったことだ。
営業マン時代、運用担当や他プロジェクト関係者に対して、自身の案件を贔屓にしてもらうよう働きかけることは、営業担当の重要な役割のひとつだ。いわゆる「調整力」というやつだ。思い返せば、かつてはこういった調整に多くの時間を費やしていたが、今ではそれがなくなり、PDCAの設計や広告原稿の改善などに時間を充てることができる。
確認や調整に充てていた時間を、運用型広告の真価ともいえる「高速なPDCA」に充てることができることが、運用成果の向上もさることながら、私にプロフェッショナルとしての「自信」をもたらしてくれる。この自信が、クライアントとの信頼形成と、そして私の「働くこと」に対する納得感にも大きく寄与していると感じる。
運用型広告は、「高速でPDCAを実行できる」ものであり、「日進月歩で進化するもの」だ。この運用型広告の世界で、営業担当や運用担当といった役割分担を基本とした支援モデルは、もはや本質的ではなく、運用者がフロントに出て、クライアントと直接コミュニケーションを取るということは、すでに必須になっているのではないだろうか。
終わりに
営業マンから広告運用者に転身して感じたことをまとめてみた。このキャリアチェンジで最も良かったことは、自身の知見の浅さに気づけたことだ。何が正解なのかはまだ分からないし、これからも探し続けるのだろうけど、時代に適した形で最高の支援を提供できるよう、日々邁進していきたい。